みやぞんの高校や中学校の野球・運動出来事いろいろ!


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引用:https://search.yahoo.co.jp



1.みやぞんの保育園時代出来事


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引用:http://tokyojidokyokai.com


みやぞんが通った保育園は、足立区扇1-22-28にあります扇こころ保育園(旧第二本木保育園)でした。

兄弟はお姉さんが4人で5番目が本人、いろいろ影響をけたことでしょう。

2.みやぞん小学校時代の出来事


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引用:http://www.adachi.ed.jp

その後みやぞんは足立区立寺地小学校(足立区扇1-7-1)へ1992年4月に入学します。

そして1998年3月に卒業。

小学校から少年野球チーム「ヤンガーズ」に所属していたようです。

最初は外野手、ボールが怖かったこともありなかなか試合にも出られなかったようです。

また5年生の頃から近所でキックボクシングを中学を卒業するまで教えてもらっていたのですが、相手にパンチがあたると「ごめんなさい」と言ったりして運動能力は良いけど優しい気持ちの持ち主のようでした。

もちろん“やんちゃ”な面がなかったわけではありません。

仲間と喧嘩していたりして落ち着きのないところもあったんだそうです。

体育館での授業で、みやぞんがうるさいので先生から「帰りなさい」と言われのに、本人は教室でテレビを見ていたとか。

また先生の持っていたギターに興味を示したとのことです。

小学校卒業の頃からバレーボールにも興味を示していたようです。


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3.みやぞん中学校時代の出来事


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引用:ttp://www.adachi.ed.jp


みやぞんはは足立区立第六中学校(足立区本木西町16-1)へ1998年4月に入学、2001年3月に卒業しています。

中学校ではバレーボール部に入りたかったようです。

というのは中学でも野球部に入ると今まで続けてきた野球チームの先輩が中学の野球部にいるため、さらに一緒に続けるのは嫌だったようです。

あいにくバレーボール部が無かったので「他にネットがある部は?」ということでソフトテニス(軟式)を選んだそうです。(笑)

テニス未経験のみやぞんが小学校からテニスをしていた部員と試合をして勝ってしまったという話もあるそうです。

しかも、本人はまだ「ヤンガーズ」に入っていたため「右肩を痛めたくない」との思いから左手でプレーしたとのこと。(?)

その後は右手に変え持ち前の運動神経のよさで、足立区準優勝の成績を収めたようです。

キャプテンを務めていたのも当然と言えますね。すごいです。

テニスの強豪校である日大系付属高校からの推薦をもらったので、高校ではテニスをするつもりのようでした。

しかし家では母しかいないために、金銭面などを含め諦めざるを得なかったようです。

そんなある日、テニスコートに転がってきた野球ボールをみやぞんが投げ返した(80m位)のを、たまたま有望な野球部員を探しに来ていたある高校の野球部監督の目に留まったのでした。(ラッキーでした)

4.みやぞん高校時代の出来事

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引用:http://www.arakawashogyo-n.metoro.tokyo.jp

みやぞんが選んだ高校は足立区小台2丁目1-31荒川商業高等学校。

建物は古いようですが、体育館や校庭も広いそうです。

部活はダンス部と野球部が盛ん、文化祭も盛り上がるそうです。

第六中学校のテニスコート内に転がってきた野球部ボールを投げ返したことが、たまたまある高校野球部監督の目に留まったことから勧誘され入学しました。

もちろん部活は野球部です。

1年生から頭角を現し活躍を続けることになります。

エースで4番に抜擢され当時130キロの球威と変化球を持ち味としていたそうです。

野球部に入ってもユニホームやスパイクを買うお金が必要になってきます。

母親が大切な指輪を質に入れて工面してくれたそうです。(泣けますねー)

野球で結果を出すと母親は喜んでくれたようです。

「だから、やめられないという思いと、親孝行のためにという思いで野球をやっていた」と話しています。

練習は基本の走る、足腰を鍛える。

ピッチャーとして低めに投げられるよう、砂場に穴を掘りキャッチャーの座る位置を下げることで低めのミットに投げられるよう練習をしたそうです。(これも凄いです)

これが低めに伸びるボールを投げられる自信になっていったようです。

残念なことに3年生の春後半に腰を痛めてしまいます。

そして3年最後の夏を迎えます。

  (2分52秒)  
引用:https://www.youtube.com

予選の2回戦は本郷と対戦、14対1で女性監督に勝利をプレゼントします。

3回戦は千歳丘を6対5で勝ち上がり、迎えた4回戦の相手は国士館。

とにかく勝ちたかったようですが、開始直後に相手の方が数段上で「勝てない」と思えたそうです。

結果は4回戦で敗退。

ここでのエピソードがあります。

みやぞん国士館に敗れた直後、「次、勝とうぜ」。

仲間「次ないです」。

「ない」って。「これで終わりか?」。

みやぞんは国士舘に敗れた時、これが最後の試合だということがわかっていなかったようです。(天然が出ていますねー)

「野球が終わりなんだ、もう練習もないんだ」ってここで気づいたそうです。

勉学の方は触れていませんが、

「高校生活は野球で燃え尽きた」。

「野球のつながりがあったからこそ今がある」と。

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引用:https://search.yahoo.co.jp

この表情の奥に野球でを通して得た宝物があることを感じさせます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


みやぞんを支え育ててくれた肝っ玉母さんの春奈さん。いろいろな言葉を残しています。






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